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グラン・ギニョル座と狂気

1897年、パリのピガール地区にある劇場ができた。

猟奇的な恐怖演劇の上演で知られるグラン・ギニョル座Le Théâtre du Grand-Guignolである。

 

 

・グラン・ギニョル座の歴史

グラン・ギニョル座は1897年、オスカール・メテニエによって設立された。

席数は280席(資料によって異なる)の、小さな劇場だったようだ。

グラン・ギニョル座となった建物は、元は教会として作られたものを改修したもので、それまで画家のアトリエや小劇団の舞台として使われていた。

 

ギニョルというのは、リヨンの指人形劇で使われていた人形のことだ。ギニョル劇はイギリスの「パンチとジュディ」のような劇で、子どもに人気があったという。

グラン・ギニョルをそのまま訳すと「大きな人形」という意味になる。

平岡敦氏は、グラン・ギニョルとは「大人のギニョル芝居」という程度の意味だろうと書いている(『ロルドの恐怖劇場』平岡敦編訳 筑摩書房 2016)。

 

劇場を作ったのはメテニエだが、グラン・ギニョル座が最盛期を迎えたのは、2代目支配人マックス・モレーと第3代支配人カミーユ・ショワジーの時代であった。

自身も劇作家だったモレーは、メテニエも行っていた恐怖演劇にさらに力を入れ、観客の気分が悪くなるようなリアルで残虐な恐怖演劇を行い、グラン・ギニョル座を成功させた。

 

そしてモレーのもとで、「恐怖のプリンス」と異名をとった劇作家アンドレ・ド・ロルドが活躍を始める。

ロルドはフランス国立図書館で司書の仕事をしながら多くの作品をものにし、「グドロン博士とプリュム教授の療法」「電話口にて」など、生涯に150編以上の恐怖演劇を書いたという。

ロルドの戯曲は、「幻覚の実験室」を『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』(真野倫平編・訳 水声社 2010)で、「幻覚実験室」「最後の拷問」の2編を『怪奇文学大山脈Ⅲ』(荒俣宏編纂 東京創元社 2014)で読むことができる。

(「幻覚実験室」と「幻覚の実験室」は同じ作品。)

『怪奇文学大山脈Ⅲ』に収録されているロルドの「わたしは告発……されている」は自作への批判に対する弁明の文章で、彼の劇作におけるスタンスがわかって面白い。

彼は短編小説も書いており、『ロルドの恐怖劇場』(平岡敦編訳 筑摩書房 2016)で22編が翻訳されている。

グラン・ギニョルの恐怖芝居の多くがそうであったように、ロルドの小説には超常的な存在はほとんど出てこない。

狂気や死、肉体の欠損などの恐怖が主に扱われており、だいたい悲劇で終わる。

そんな『ロルドの恐怖劇場』は、面白いが体調の悪いときに読むと気が滅入りそうな一冊になっている。

 

ロルドのほか、有名なところでは怪奇小説作家モーリス・ルヴェルもグラン・ギニョル座の恐怖演劇の脚本を書いていた。

また『オペラ座の怪人』で知られるガストン・ルルーは「悪魔に会った男」という戯曲を提供している。

ルヴェル「闇の中の接吻」、ルルー「悪魔に会った男」も『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』に収録されている。

(「悪魔に会った男」は「悪魔を見た男」として『怪奇文学大山脈Ⅲ』にも訳出されている。)

 

モレー、ロルドのほか俳優のポール・ラティノーは演出方面で活躍し、凶器や血糊、生首などを使って観客を恐怖に陥れた。

こういった体制で作られた恐怖劇は観客に大きな衝撃を与え、「一九〇四年には「グラン・ギニョールを観るには、入場前に医者の診察が必要」と噂されるほどになった」という(『ホラー小説講義』p.65)。

 

第3代支配人カミーユ・ショワジーの時代には、グラン・ギニョル座で最も有名な女優ポーラ・マクサが舞台に立ち、「世界でいちばん殺された女」と呼ばれた。

彼女の当たり役「安宿の一夜」(シャルル・メレ)は『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』で読める。

彼女はグラン・ギニョル座で、少なくとも60通りの方法で一万回以上殺され、3000回以上強姦されたという。

またショワジーは劇団を海外に遠征させ、グラン・ギニョル劇の影響を世界に広める。

ショワジーが支配人だった第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の時代に、グラン・ギニョル座の人気は絶頂を迎えた。

 

第4代支配人ジャック・ジュヴァンの時代以降、グラン・ギニョル座の人気は陰りを見せ、映画の台頭や第2次世界大戦の戦禍により衰退、1962年にその歴史を閉じた。

現在でもグラン・ギニョル座の建物は残っているが、当時の面影はない。

今はInternational Visual Theatreという施設になっているようだ。

またグラン・ギニョル座はgrand-guignolesqueという言葉を残した。「恐ろしく猟奇的な」「スリラー劇風の」という意味だ。

 

 

・見世物としての狂気

個人的に興味深いと感じるのは、グラン・ギニョル座で上演された恐怖劇に精神病院や狂気を扱ったものが多くあるところだ。

このことはグラン・ギニョルについての資料でもよく言及されている。

 グラン=ギニョル劇で圧倒的なのは、医学的恐怖、とりわけ精神医学的な恐怖である。(中略)グラン=ギニョル劇における狂気は、ギリシア悲劇オレステスの狂気とも、シェークスピアリア王やオフェーリアの狂気とも、十九世紀のルチアやグレートヒェンの狂気とも異なる。それは、神話的・宗教的な意味を剥奪され、英雄的・劇的な性格を失った、病理学的な狂気である。それはわれわれの誰もが陥る可能性のある、崇高さや悲劇性を失った、それゆえに耐えがたくおぞましい狂気なのである。

――『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』p.250-251

 

上に引用した真野倫平氏の文章に、グラン・ギニョル劇における狂気のすべてが要約されていると思う。

私が面白いと感じるのは、我々人間が自分にも訪れるかもしれない狂気を恐れながら、同時にこらえがたい興味をいだいていることだ。

精神医療で知られるフランスのサルペトリエール病院では、精神病者の舞踏会が行われるときには多くの男女が見物にでかけていたという。

イギリスの精神病院ベドラム(ベスレム病院)は訪問者に開放されており、一種のショーのように見物に来る人が多くいた。

日本でも、過去には東京府巣鴨病院が一般見学者を受け入れており、天皇を自称していた葦原金次郎が人気を博していた。お金を払えば、彼の詔勅をもらったり記念写真を撮ったりできたというから驚きだ。

現代ではこのようなことはないが、たとえばホラー映画をとってみても『セッション9』『グレイヴ・エンカウンターズ』など精神病院を舞台にした作品は多い。

これらの事実は、人間の狂気に対する興味の証左ではないだろうか。 

こうした狂気の引力が、精神医学の発展を背景に書かれたグラン・ギニョル劇には顕著に現れている。

私のような人間にとって、それは自分の中に潜む狂気に触れさせてくれる存在であり、100年前に書かれたものであっても今なお力を失っていない。

 

  参考

『演劇百科大事典 2』 平凡社 1983

『怪奇文学大山脈 Ⅲ』 荒俣宏編纂 東京創元社 2014

『狂気』 ロイ・ポーター 田中裕介他訳 岩波書店 2006

『近代科学と芸術創造』 真野倫平編 行路社 2015

『グラン=ギニョル 恐怖の劇場』 フランソワ・リヴィエール、ガブリエル・ヴィトコップ 梁木靖弘訳 未来社 1989

『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』 真野倫平編・訳 水声社 2010

巻末の解説に、真野氏が開設したグラン・ギニョルについてのウェブサイト「極東グラン=ギニョル研究所」の案内があるのだが、この本を初めて読んだ2015年の時点でサイトは閲覧できなくなっていた。大変残念である。

小学館ロベール仏和大辞典』 小学館ロベール仏和大辞典編集委員会編集 小学館 1988

『女性と狂気 19世紀フランスの逸脱者たち』 ヤニス・クーパー著 和田ゆりえ・谷川多佳子訳 平凡社 1993

『脳病院をめぐる人びと 帝都・東京の精神病理を探索する』 近藤祐 彩流社 2013

『ホラー小説講義』 荒俣宏 角川書店 1999

『ロルドの恐怖劇場』 アンドレ・ド・ロルド 平岡敦編訳 筑摩書房 2016 

ベドラム – Wikipedia

Grand Guignol – Wikipedia