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桐生火葬場事件 1

1933(昭和8)年4月14日、群馬県桐生市の市営火葬場近くで、子どもが死体を発見した。猟奇的事件として日本全国に大きく報道された「桐生火葬場事件」の始まりである。

 

事件のあらまし

1933年4月14日、桐生市営火葬場のゴミ捨て場から犬が人間の死体を掘り出した。それを近くで遊んでいた子どもが発見して騒ぎになり、桐生署から警察官が出動した。

検証した結果、死体は2体あった。2体とも半ミイラ化して半焼の状態。古い畳表に包まれており、両腕と両足がなく頭部と胴体だけになっていた。

 

※事件が起きた日付について、当時の新聞は全て4月14日としているが、『群馬県警察史』とそれを典拠とした『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』では4月3日と書かれており、一致していない。

 

警察は、死体は他の場所で殺害された後、証拠隠滅のために焼いて捨てられたものとみて捜査を行った。

その結果、同火葬場で火葬人をしていたMが死体遺棄の犯人であることが判明した。

Mは死体を完全に火葬にせず、半焼の状態で火葬場の敷地内に埋めることで、薪や火葬の代金を騙取していた。

驚くべきことに、Mが遺棄した死体は14日に発見された2体だけではなく、火葬人として働いていた17年間に、同様の行為を何度も行っていたことがわかった。

最終的には、1570体余りの死体が遺棄されていたことが判明した。

 

取り扱った遺体のうち約5分の1は火葬にし、その骨を何人分かに分けて、火葬にしなかった遺体の遺族に遺骨として渡していた。

1933年4月25日の読売新聞夕刊では、市内にあるT店(鶏肉を扱う料理屋か精肉店か?)の店主が鳥の骨をMらに売っていたと書かれている。

遺族に渡された遺骨の中には、その鳥の骨もあったという。

 

Mが半焼状態の死体を遺棄した理由は、金の騙取だけでなく「脳みそを取るため」だったと複数の新聞で大きく報道されている。

当時、人間の脳みそが梅毒に効くという迷信があり、Mは死体から取り出した脳みそを売っていたのだという。

これが、この事件が「グロ事件」として大々的に報道された理由である。

 

犯人たち

Mは事件発覚当時45歳。詐欺で3回捕まっており、火葬場で働く前には前橋刑務所で服役していた。

 

もとは市内の農家に男4人の兄弟の末子として生まれたが、20歳のときに盲腸を患ってから、働かずに遊び回るようになった。そのため実家からは事件の数年前まで勘当同然となっており、兄弟も絶縁状態だった。

火葬人として働き始めてから、毎晩のように自動車を走らせ桐生や足利で豪遊していたという。

 

桐生市営火葬場はこの年の4月1日から市の直営となっており、その前は火葬取扱人Yが運営していた。

Mは前橋刑務所出所後、Yの父の保護を受け薬の行商を行ったあと火葬場で火葬人として雇われて働いていた。

Yの父は事件当時には故人となっており、Yがその跡を継いでいた。

 

Mは火葬人として働いている間に、遺族や会葬者にチップを強要したり、死体の金歯を抜き取ったりという問題行動があり、市民から問題視されたこともあったという。

 

Yは当初、事件について「事件の発生を聴いて実にビックリした次第です」「(Mが)大それた罪を犯そうとは夢にも気づきませんでした、監督者だった私としては十分に責任を感じております」(朝日新聞群馬版1933年4月16日)などとコメントしているが、その後の捜査でMと共謀して死体遺棄を行っていたことが判明した。

 

「桐生署で最初からYに嫌疑をかけなかったのは不思議な位」(読売新聞1933年4月19日)と言われているが、Yは元市役所職員で当時は町内の役員を務め、家には巡査が4人も下宿していたという人物で、最初は捜査の手が及ばなかったようだ。

 

4月19日夜には、市役所の衛生課火葬係主任書記Iが出頭を求められ取り調べを受けた。その結果、IもMらの犯罪に加担していたことが明らかとなった。

最終的には、MとYを含む14人が犯罪に関与したとされた。

 

火葬場が市の直営となった1933年4月1日以降も、Mは引き継ぎのため4月10日まで火葬人として働いていた。

新たに火葬人となった人物は、Mに犯罪に加担するよう脅されていたという。

Mは取り調べの際、「焼けないから已むを得ず埋没して他の骨を融通した」(1933年4月17日読売新聞夕刊)と供述し、留置所でも平然としていると記事に書かれている。

 

2につづく(記事は3まであります。)