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沼田女子高校生殺人事件 2

前の記事のつづき

 

遺体はあおむけになっていた。上着が乱れており、下着とストッキングは脱がされていた。右胸に刺し傷があり、暴行された形跡があった。

遺体の3メートル上方に右足の靴、遺体と道路の中間にバスの定期券、さらに15メートル上に父親が発見したYさんの手提げバッグがあった。

バッグの中身には手がつけられた様子はなかったが、脱がされた下着とストッキングは現場からなくなっていた。

 

遺体が発見された19日夜から、沼田署と群馬県警捜査一課が現場検証と現場付近の聞き込みを行った。警察犬2頭も出動した。

沼田署と県警捜査一課は、犯行現場は遺体発見場所と同一と見、犯行日時は18日午前7時15分から8時頃と推測した。※

 

※上毛新聞では、警察側は犯行現場と遺体発見場所は同一と見ているとの記述だったが、1974年5月22日の朝日新聞の記事には、「現場付近からはYさんの血こんが検出されておらず、別の場所で殺された、との見方もある。」「犯行推定時間当時、近くの畑で両親らが農作業をしていたが、悲鳴などは聞こえなかった」という文章がある。

最終的にどのような見解になったのかは調べきれなかった。

 

〈2018年5月28日追記〉

警察側が犯行現場と遺体発見場所を同一と見ているとの記述があるのは1974年5月20日の上毛新聞。読売新聞群馬版1974年5月21日の記事には、「遺体がみつかった現場に余り血が飛び散ってなく争った跡がないことから、捜査本部は別の現場で殺されたとみて改めて一帯のルミノール反応検査を行う」とある。これと上記の朝日新聞の記事をあわせて考えると、最初は犯行現場と遺体発見現場は同一と見たが捜査が進む内に違うという見解に至ったものと思われる。

 

同月20日に行われたYさんの遺体解剖の結果、死因は刺し傷による出血多量とされた。右胸から斜めに差し込まれた刃物が、肋骨を切断し肺を貫通して心臓に達していた。

傷口が上下幅2.7センチ、深さが14センチのため、凶器は刃幅の狭い細いもの(匕首、牛刀、登山ナイフなど)と推測された。

Yさんの出血状況からみて、犯人は相当な量の返り血をあびていると思われた。

胃の内容物から犯行推定時刻はYさんが家を出てまもない時間とされ、Yさんが通学途中に襲われたとする警察の見解を裏付けた。

 

時系列が前後するが、ここで23日に捜査本部によって割り出されたYさんの正確な現場通過時間を記す。

 

事件当日の朝、最初に旧道を通っていたのは、Yさんと同じ地区に住む高校生の一人Aさん。午前6時57分に自宅を出て、毎朝この道にかかるクモの巣を払いながら登校。午前7時2分頃に現場を通過した。

その後、Yさんが午前7時5分に家を出て、約700メートル歩き、7時12分に現場にさしかかっている。

次に旧道を通ったのは同地区の中学生Bさんで、午前7時25分に家を出て、7時30分

頃に現場を通過した。

 

このAさんとBさん(ともに女性)の通学時間と現場の視界や物音を考慮し、犯行に使われた時間は最大で20分間とされた。

 

時系列にもどると、沼田署と県警捜査一課は、5月20日に「沼田女子高校生殺人事件捜査本部」を設置。

県警捜査一課、鑑識、機動隊など約100人を投入して捜査を行った。

現場は急斜面で雑木が生い茂っており、初動鑑識捜査は難航したようだ。

近隣の約200戸で聞き込み捜査も行ったが、事件の目撃者は現れなかった。

 

捜査において警察が想定した犯人像は、以下のようになる。

 

・旧道は枯れ葉が堆積していて、物音を立てずに人に近づくのが難しい。Yさんは右胸を一突きにされていたため、犯人は怪しまれずに距離をつめられる顔見知り。

・旧道は土地に詳しい者でないと知らない道であったため、現場の土地勘のある人間。

・一突きで急所に達していた傷の状況から、腕力の強い男性。

 

また、現場の地理的条件や犯行手口から、あらかじめYさんに狙いをつけた計画的犯行との見方が強かった。

 

3につづく(次で終わりです。)