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グラン・ギニョル座と狂気

1897年、パリのピガール地区にある劇場ができた。

猟奇的な恐怖演劇の上演で知られるグラン・ギニョル座Le Théâtre du Grand-Guignolである。

 

 

・グラン・ギニョル座の歴史

グラン・ギニョル座は1897年、オスカール・メテニエによって設立された。

席数は280席(資料によって異なる)の、小さな劇場だったようだ。

グラン・ギニョル座となった建物は、元は教会として作られたものを改修したもので、それまで画家のアトリエや小劇団の舞台として使われていた。

 

ギニョルというのは、リヨンの指人形劇で使われていた人形のことだ。ギニョル劇はイギリスの「パンチとジュディ」のような劇で、子どもに人気があったという。

グラン・ギニョルをそのまま訳すと「大きな人形」という意味になる。

平岡敦氏は、グラン・ギニョルとは「大人のギニョル芝居」という程度の意味だろうと書いている(『ロルドの恐怖劇場』平岡敦編訳 筑摩書房 2016)。

 

劇場を作ったのはメテニエだが、グラン・ギニョル座が最盛期を迎えたのは、2代目支配人マックス・モレーと第3代支配人カミーユ・ショワジーの時代であった。

自身も劇作家だったモレーは、メテニエも行っていた恐怖演劇にさらに力を入れ、観客の気分が悪くなるようなリアルで残虐な恐怖演劇を行い、グラン・ギニョル座を成功させた。

 

そしてモレーのもとで、「恐怖のプリンス」と異名をとった劇作家アンドレ・ド・ロルドが活躍を始める。

ロルドはフランス国立図書館で司書の仕事をしながら多くの作品をものにし、「グドロン博士とプリュム教授の療法」「電話口にて」など、生涯に150編以上の恐怖演劇を書いたという。

ロルドの戯曲は、「幻覚の実験室」を『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』(真野倫平編・訳 水声社 2010)で、「幻覚実験室」「最後の拷問」の2編を『怪奇文学大山脈Ⅲ』(荒俣宏編纂 東京創元社 2014)で読むことができる。

(「幻覚実験室」と「幻覚の実験室」は同じ作品。)

『怪奇文学大山脈Ⅲ』に収録されているロルドの「わたしは告発……されている」は自作への批判に対する弁明の文章で、彼の劇作におけるスタンスがわかって面白い。

彼は短編小説も書いており、『ロルドの恐怖劇場』(平岡敦編訳 筑摩書房 2016)で22編が翻訳されている。

グラン・ギニョルの恐怖芝居の多くがそうであったように、ロルドの小説には超常的な存在はほとんど出てこない。

狂気や死、肉体の欠損などの恐怖が主に扱われており、だいたい悲劇で終わる。

そんな『ロルドの恐怖劇場』は、面白いが体調の悪いときに読むと気が滅入りそうな一冊になっている。

 

ロルドのほか、有名なところでは怪奇小説作家モーリス・ルヴェルもグラン・ギニョル座の恐怖演劇の脚本を書いていた。

また『オペラ座の怪人』で知られるガストン・ルルーは「悪魔に会った男」という戯曲を提供している。

ルヴェル「闇の中の接吻」、ルルー「悪魔に会った男」も『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』に収録されている。

(「悪魔に会った男」は「悪魔を見た男」として『怪奇文学大山脈Ⅲ』にも訳出されている。)

 

モレー、ロルドのほか俳優のポール・ラティノーは演出方面で活躍し、凶器や血糊、生首などを使って観客を恐怖に陥れた。

こういった体制で作られた恐怖劇は観客に大きな衝撃を与え、「一九〇四年には「グラン・ギニョールを観るには、入場前に医者の診察が必要」と噂されるほどになった」という(『ホラー小説講義』p.65)。

 

第3代支配人カミーユ・ショワジーの時代には、グラン・ギニョル座で最も有名な女優ポーラ・マクサが舞台に立ち、「世界でいちばん殺された女」と呼ばれた。

彼女の当たり役「安宿の一夜」(シャルル・メレ)は『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』で読める。

彼女はグラン・ギニョル座で、少なくとも60通りの方法で一万回以上殺され、3000回以上強姦されたという。

またショワジーは劇団を海外に遠征させ、グラン・ギニョル劇の影響を世界に広める。

ショワジーが支配人だった第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の時代に、グラン・ギニョル座の人気は絶頂を迎えた。

 

第4代支配人ジャック・ジュヴァンの時代以降、グラン・ギニョル座の人気は陰りを見せ、映画の台頭や第2次世界大戦の戦禍により衰退、1962年にその歴史を閉じた。

現在でもグラン・ギニョル座の建物は残っているが、当時の面影はない。

今はInternational Visual Theatreという施設になっているようだ。

またグラン・ギニョル座はgrand-guignolesqueという言葉を残した。「恐ろしく猟奇的な」「スリラー劇風の」という意味だ。

 

 

・見世物としての狂気

個人的に興味深いと感じるのは、グラン・ギニョル座で上演された恐怖劇に精神病院や狂気を扱ったものが多くあるところだ。

このことはグラン・ギニョルについての資料でもよく言及されている。

 グラン=ギニョル劇で圧倒的なのは、医学的恐怖、とりわけ精神医学的な恐怖である。(中略)グラン=ギニョル劇における狂気は、ギリシア悲劇オレステスの狂気とも、シェークスピアリア王やオフェーリアの狂気とも、十九世紀のルチアやグレートヒェンの狂気とも異なる。それは、神話的・宗教的な意味を剥奪され、英雄的・劇的な性格を失った、病理学的な狂気である。それはわれわれの誰もが陥る可能性のある、崇高さや悲劇性を失った、それゆえに耐えがたくおぞましい狂気なのである。

――『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』p.250-251

 

上に引用した真野倫平氏の文章に、グラン・ギニョル劇における狂気のすべてが要約されていると思う。

私が面白いと感じるのは、我々人間が自分にも訪れるかもしれない狂気を恐れながら、同時にこらえがたい興味をいだいていることだ。

精神医療で知られるフランスのサルペトリエール病院では、精神病者の舞踏会が行われるときには多くの男女が見物にでかけていたという。

イギリスの精神病院ベドラム(ベスレム病院)は訪問者に開放されており、一種のショーのように見物に来る人が多くいた。

日本でも、過去には東京府巣鴨病院が一般見学者を受け入れており、天皇を自称していた葦原金次郎が人気を博していた。お金を払えば、彼の詔勅をもらったり記念写真を撮ったりできたというから驚きだ。

現代ではこのようなことはないが、たとえばホラー映画をとってみても『セッション9』『グレイヴ・エンカウンターズ』など精神病院を舞台にした作品は多い。

これらの事実は、人間の狂気に対する興味の証左ではないだろうか。 

こうした狂気の引力が、精神医学の発展を背景に書かれたグラン・ギニョル劇には顕著に現れている。

私のような人間にとって、それは自分の中に潜む狂気に触れさせてくれる存在であり、100年前に書かれたものであっても今なお力を失っていない。

 

  参考

『演劇百科大事典 2』 平凡社 1983

『怪奇文学大山脈 Ⅲ』 荒俣宏編纂 東京創元社 2014

『狂気』 ロイ・ポーター 田中裕介他訳 岩波書店 2006

『近代科学と芸術創造』 真野倫平編 行路社 2015

『グラン=ギニョル 恐怖の劇場』 フランソワ・リヴィエール、ガブリエル・ヴィトコップ 梁木靖弘訳 未来社 1989

『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』 真野倫平編・訳 水声社 2010

巻末の解説に、真野氏が開設したグラン・ギニョルについてのウェブサイト「極東グラン=ギニョル研究所」の案内があるのだが、この本を初めて読んだ2015年の時点でサイトは閲覧できなくなっていた。大変残念である。

小学館ロベール仏和大辞典』 小学館ロベール仏和大辞典編集委員会編集 小学館 1988

『女性と狂気 19世紀フランスの逸脱者たち』 ヤニス・クーパー著 和田ゆりえ・谷川多佳子訳 平凡社 1993

『脳病院をめぐる人びと 帝都・東京の精神病理を探索する』 近藤祐 彩流社 2013

『ホラー小説講義』 荒俣宏 角川書店 1999

『ロルドの恐怖劇場』 アンドレ・ド・ロルド 平岡敦編訳 筑摩書房 2016 

ベドラム – Wikipedia

Grand Guignol – Wikipedia

ジェイソン村 2 関東のジェイソン村

今回とりあげる相模湖ジェイソン村(神奈川県)とつくば市のジェイソン村(茨城県)は、インターネットで見た範囲だと、どちらも2001年頃にはすでにジェイソン村としてある程度の知名度を有していたようだ。

特に相模湖ジェイソン村については、2001年12月発行の『実話GON!ナックルズ』の記事に、近隣住民が「(相模湖ジェイソン村が)5年くらい前に雑誌に載った」と述べていたとあり、1990年代後半にはジェイソン村と呼ばれていたことが伺える。

このことから、これらのジェイソン村は前回とりあげた新潟ジェイソン村とは噂の誕生過程が違うように思われる。

 

 

・相模湖ジェイソン村

 

日本各地にあるとされるジェイソン村の中で、おそらく最もよく言及されているのが、神奈川県の相模湖付近にあるジェイソン村だ。

インターネット上の記事では、ここをジェイソン村の「元祖」と説明しているものもある。(全国心霊マップ

前述の『最恐心霊スポット 関東編』にただ「ジェイソン村」という名称で載っていること(つくば市のジェイソン村は「茨城のジェイソン村」として載っている)や、雑誌で取り上げられる頻度がいちばん高い(大宅壮一文庫雑誌記事索引で出てくるジェイソン村の記事は5件すべてがここについての記事)ことからも、ジェイソン村伝説の中心地であることが伺える。

 

相模湖ジェイソン村は、相模原市緑区(旧津久井郡相模湖町)にある。

7棟の廃墟から成っており、噂はものによって多少の違いがあるが、ある青年が村人たちを斧で惨殺したあと自殺したとされるところは共通している。

目を通した中でいちばん詳しかったのは、『実話GON!ナックルズ』2001年12月号に載っている記事「相模湖畔に存在した恐怖の村、ジェイソン村」(赤福すずか p.138-141)に紹介されていた噂で、「戦後すぐのころ、ヒロポン中毒の青年が村人を斧で惨殺し自分も命を絶った。生き残った幼女2人は発狂し精神病院にいる」というような内容のもの。

 

また7棟のうちの一つは廃ホテルだが、営業しているときに客から「蛇口をひねったら赤い水が出る」というクレームがあったが、原因が判明しなかったとされる。

ホテルの経営者がそこで首吊り自殺をしたという噂もある。

 

この7棟は実際には一つの集落というわけではなく、単に廃墟がまとまって残っているだけにすぎない。

ここをキャンプ場としている噂もあるが、キャンプ場でもない。

 

一応、朝日新聞、読売新聞のデータベースのほか神奈川県立図書館の新聞記事検索でも調べてみたが、その範囲ではこの周辺で集落の住人が一人の人間によって皆殺しにされたというような事件は見つからなかった。

ただ相模湖周辺ではたびたび死体遺棄や心中等の事件が起きており、そのことが恐ろしげなうわさ話を生む一つの要因となっているのかもしれない。

 

 

つくば市のジェイソン村

 

相模湖ジェイソン村に次ぐ頻度で名前が出てくるのが、茨城県つくば市のジェイソン村。

ここは、プレス機工場と「少女の館」「自殺の館」「画家の館」等と呼ばれる7軒の廃屋からなる廃墟だ。

「少女の館」では、以前女が夫と娘を殺した後自殺したという噂がある。

夜になると、少女の「お母さんやめて」という声が聞こえるという。

プレス機工場では、工員が事故で圧死したとされる。

また廃墟になったあとここは暴走族のたまり場になっており、ある時若い女性が暴走族にレイプされ殺された。

それ以来、ホッケーマスクをつけた女の霊が出るという。

 

暴行された女性とホッケーマスクがどう関係があるのかはネット上ではあまり語られていないが、書籍ではその理由が説明されているものがある。

 

・女性の身元をわからなくするため、犯人たちは彼女の顔にオイルをかけて火をつけた。その焼けただれた顔を隠すためにホッケーマスクをかぶっている。(『最恐心霊スポット 関東編』)

・暴行された女性の遺体のそばには、暴走族がかぶっていたらしきホッケーマスクが転がっていた。それ以来、ホッケーマスクをつけた女性の霊が目撃されるようになった。(『知られざる 怖い!怪奇村の話』)

 

他のジェイソン村は、一家や集落で皆殺し事件があったところが映画『13日の金曜日』と似ていることからジェイソン村と呼ばれているところが多い。

つくば市のジェイソン村はそれらと違い、出現する女性の霊がホッケーマスクをつけているところが『13日の金曜日』のジェイソンと共通しているとされる。

しかし、肝心の女性がマスクをつけている理由が、語られていなかったり噂によって違ったりと、何となくあやふやなのが興味深い。

「ジェイソン村」がいわくありげな廃墟に適当ないわれをつけるための装置にすぎないとしても、場所によってこのような違いが生まれる裏側には、何らかの理由が隠れているのではないかと思えて興味を惹かれる。

 

 

群馬県のジェイソン村?

 

新潟ジェイソン村の記事で引用した『日本現代怪異事典』には、群馬県にもジェイソン村があると書かれているが、その情報は全くと言って良いほど見つからなかった。

 

あるとき、怖い話を配信するツイキャス禍話」の過去の放送を聞いていたところ、ジェイソン村の話が出てくる回があった。

その中で、ジェイソン村伝説のルーツと思われる話として、『トイレに行けなくなる怖い話 あなたの隣の怖い話シリーズ』(二見書房 1998)に掲載されている体験談が紹介されていた。

早速この本を入手し、紹介されていた「「ジェイソン」のマスクをかぶった少女」(p.218-223)という話を確認した。

 

舞台は、東京から自動車で3時間ほど走ったところにある別荘地。体験談を投稿している男性は、そこに別荘を購入し、友人らと8人ででかけたという。

彼らは途中で立ち寄ったレストランで、別荘地で過去に起きた事件の話を聞く。

 

友達と遊びにきていた高校生の女の子が暴走族に襲われ、乱暴されたあげく、別荘の敷地内にある展望台から飛び降り自殺をした事件があったのだそうです。それ以来、地元の人たちの何人かが、夜になると歩きまわっている女の子の姿を目撃するようになったというのです。

――『トイレに行けなくなる怖い話 あなたの隣の怖い話シリーズ』p.219

 

その夜、別荘に着いた彼らは、林の中で肝試しを始める。

しかし、折返し地点の目印として木にかけてあった蛍光色で光るホッケーマスクが、見当たらなくなってしまった。

マスクを探していると、ホッケーマスクをかぶった女の子が現れこちらに向かってきて林の中へ走り去るということがあり、女性たちが怯えてしまう。

結局、彼らは別荘に泊まらず東京に戻ることにした。

自動車2台の間にバイク1台が入る格好で列になって道を走っていると、ホッケーマスクをつけた少女が飛び出してきてバイクに飛び乗り、後ろを走る車に顔を近づけてきたそうだ。

彼女のマスクの隙間からはおびただしい血が流れていたという。

 

この話は、引用した部分が群馬県のある心霊スポットの噂とかなり一致しているので、群馬の話ではないかと思う。

それはある貸し別荘にまつわる話で、そこがまだ建設予定地だったときに高校生の少女が不良グループに強姦され、逃げられないようアキレス腱を切られたというものだ。

強姦された少女は、近くにあった展望台から身を投げて自殺する。

(アキレス腱を切られていたのなら、展望台を登るのはかなり困難だったと思うが……。)

それ以来、その近辺には少女の霊が出るようなったという。

この話は割と有名なもので、テレビ番組「奇跡体験!アンビリバボー」で取り上げられたこともあるようだ。

またこの近くの道で、原付にのった女子高生が自動車と衝突して首がとれて死亡したことがあり、それ以来少女の首なしライダーの霊も出るとされる。

 

ただの怪談にしては複雑な内容なので、元になった事件があるのではないかと思い調べていたところだった。

今のところ、新聞のデータベースでは事件の報道は発見できていない。

 

件の別荘地は、群馬県では心霊スポットとしてそれなりに知られているが、ジェイソン村と呼ばれているのは見たことがなく、これが群馬県のジェイソン村かどうかはわからない。

しかし、つくば市のジェイソン村にまつわる女性の霊の話と似ているのが気になる。

つくばのジェイソン村にまつわるエピソードのルーツがここにあるとすれば、他のジェイソン村と異なる噂が流れていることにも納得できる。

 

 

参考

有栖川礼音「謎多き”ジェイソン村”」(『知られざる 怖い!怪奇村の話』 日本文芸社 2009 p.46-51)

『最恐心霊スポット 関東編』 心霊スポット研究会 幻冬舎 2003

『週間実話臨増』2012年8月11日 p.198-199

 

☆相模湖ジェイソン村

赤福すずか「相模湖畔に存在した恐怖の村、ジェイソン村」(『実話GON!ナックルズ』2001年12月 p.138-141)

実話ナックルズ臨増』2016年12月25日 p.25

週刊実話臨増』2012年8月11日 p.198-199

『別冊週刊実話』2001年6月4日 p.15-18

【神奈川県】神奈川ジェイソン村」(全国心霊マップ)

相模湖周辺物件」(となりの異次元空間)

ジェイソン村」(畏怖 心霊スポット)

血塗られた逸話が彩る 全国のジェイソン村」(激ヤバ地帯)

 

つくば市ジェイソン村

ジェイソン村」(畏怖 心霊スポット)

ジェイソン村」(きもだめし通信)

廃集落 茨城のジェイソン村」(廃墟伝説)

 

群馬県のジェイソン村?

『トイレに行けなくなる怖い話 あなたの隣の怖い話シリーズ』 二見書房 1998

魁!オカルト塾 第三回」(禍話)

群馬の恐怖心霊スポット (5ちゃんねる)

群馬県の心霊スポット教えてください。(5ちゃんねる)

ジェイソン村 1 新潟ジェイソン村

ジェイソン村[じぇいそんむら]

アメリカからやってきた殺人鬼がホッケーマスクを被り、村人を殺戮した廃村があるという怪異。

(中略)

秋田県茨城県、神奈川県、群馬県熊本県などにあるという不可思議な村にまつわる都市伝説。

 

――朝里樹  『日本現代怪異事典』 笠間書院 2018 p.182

  

私が「ジェイソン村」の存在を知ったのは、上に引用した『日本現代怪異事典』を読んだ2018年だった。

寡聞にして知らなかったが、インターネットで検索してみたところ有名な怪談だということがわかった。

しかし、出てきた情報を見てもその実態がつかみづらい。

複数のジェイソン村が存在するため、それぞれの話が入り乱れているからではないかと思う。

気になったので調査してみた。まず取り上げるのは、新潟県のジェイソン村である。

 

 

●新潟の心霊スポット「ホワイトハウス

 

新潟ジェイソン村の話は、新潟県にある白い洋館、通称「ホワイトハウス」から始まる。

地元では有名な心霊スポットで、「特命リサーチ200X」や「トゥナイト2」のようなテレビ番組で紹介されたこともあるという。

 

このホワイトハウスについての噂を簡単にまとめると、

 

ある時この洋館に、東京に住む外交官の一家が引っ越してきた。一家は、外交官とその妻、娘一人、息子一人の4人家族。

外交官の娘は解離性人格障害を患っており、新潟に越してきたのは、彼女を幽閉することが目的だった。

彼女の人格の一つである中年男性の人格は非常に凶暴であり、この人格が表に出ている時には、彼女は家族に暴力をふるっていたという。

ある時、この人格が現れている時に娘は父親の猟銃を手にし、家族全員を殺害した。

参考:廃墟伝説

 

これがホワイトハウスについて現在いちばん広く流布している噂である。

ホワイトハウスの噂については、『現代怪奇解体新書』(別冊宝島415)で赤福すずか氏が調査しまとめている。

赤福氏は実際にホワイトハウスを訪れ、現地の人々に取材して噂を聞いた。

その内容は人それぞれで、様々なバリエーションがあったことが書かれている。

上記の噂に近い内容で相違するものを以下に列記する。

 

・親の仕事は医者だった。

・精神を患っていたのは娘でなく息子だった。

・家族を殺害するのに使われたのは斧だった。

・家政婦もしくは母親は逃げ出して電話ボックスまでたどり着いたが、警察への通報中に殺された。

 

採取された噂の中には「住民が代々自殺している」というような、外交官一家の話とは関係なさそうなものもある。

 

5ちゃんねるの「新潟の心霊スポット」という一連のスレッドによると、ホワイトハウスは70年代なかばに空き家になり、70年代後半にはここを幽霊屋敷とする噂がすでにあったようだ。

 

 

 

ホワイトハウスからジェイソン村へ

 

ホワイトハウスで家族を惨殺した少女は、家を出て近くの集落に行き、その集落の住人を次々に惨殺したと言われる。

この集落が、「ジェイソン村」と呼ばれているところだ。

 

前段でふれた『現代怪奇解体新書』が出版されたのは1998年。

この記事には、ジェイソン村に関する記述はない。家族を殺害した娘のその後は「行方不明」とする噂が多かったようだ。

この頃には、ホワイトハウスの話はそれだけで完結していて、ジェイソン村の噂はなかったことが推測される。

 

ジェイソン村の噂がいつからささやかれるようになったのかを確認するため、まちBBSと5ちゃんねるに立てられた新潟の心霊スポットに関するスレッドを、古い方から調べてみた。

 

ホワイトハウスに関する話は多く書き込まれており、確認した中で最古のスレッド「北陸甲信越の心霊スポット」(スレッドが立ったのは2001年4月22日)でも言及がある。

しかし、ジェイソン村の名称はなかなか見つからない。

やっと見つかったのは、5ちゃんねるのスレッド「新潟県の心霊スッポチその11」 (スレッドが立ったのは2006年08月29日)のレス番号162だ。

 

162 :本当にあった怖い名無し:2006/09/28(木) 23:02:30 ID:8N1hA1WgO

ところで、ジェイソン村ってどこにでもあるんだね

 

このスレッドでのジェイソン村への言及はこれのみ。

このレスに対するレスポンスもない。

 

その次のスレッド「【笹団子】新潟県の心霊スッポトその12【マンゲボボ】」(スレッドが立てられたのは2007年1月27日)には、以下のようなレスがある。

 

716 :本当にあった怖い名無し:2007/05/08(火) 20:32:11 id:b0631uD/0

>>714
そのサイトみたけど・・・

シーサイドラインは心霊スポットが複数存在します。ホワイトハウス、二つ目のホワイトハウ
>ス、日蓮、ジェイソン村、赤屋根の館、灯台、トンネル、トイレ、赤い橋、赤い家、青い家、間
>瀬隧道、だいろ坂、自殺電波塔、ブラックハウス、精神廃病院、真ホワイトハウス、海の家
>廃墟、間瀬海岸廃旅館、多宝山中腹の白い家、弥彦廃ホテル、観音寺温泉廃旅館、野積
>の空き家…などこの辺りに心霊スポットが集中しているんです。

何時の間にこんなにスポットが増えたんだろう? 誰か具体的に分かる人います?
赤屋根の館と赤い家って違うの?
自殺電波塔とブラックハウスって違うの?
廃旅館、廃ホテルは皆心霊スポットか?

  

レス番号714にリンクがあるサイトは、「恐怖神霊の館」というウェブサイト。

訪問者が心霊スポットを書き込む地域別の掲示板があり、ここの「新潟スポット」という掲示板にレス番号716で言及されている書き込みがある。

 

■[シュウ]
[シーサイドライン] Delete
シーサイドラインは心霊スポットが複数存在します。ホワイトハウス、二つ目のホワイトハウス日蓮、ジェイソン村、赤屋根の館、灯台、トンネル、トイレ、赤い橋、赤い家、青い家、間瀬隧道、だいろ坂、自殺電波塔、ブラックハウス、精神廃病院、真ホワイトハウス、海の家廃墟、間瀬海岸廃旅館、多宝山中腹の白い家、弥彦廃ホテル、観音寺温泉廃旅館、野積の空き家…などこの辺りに心霊スポットが集中しているんです。
2007/04/05(木)00:16

 

その後、この書き込みにレスポンスが付き、追加情報が書き込まれている。

 

■[にゃんこ]
[Re:シーサイドライン] Delete
シュウさんへ

色々と情報をお持ちのようで、素晴らしいです。
>ジェイソン村
灯台
>トイレ
>赤い家、青い家
>だいろ坂
>精神廃病院
>海の家廃墟
>多宝山中腹の白い家、

について教えてもらえませんか? 他の方の情報も待ってます。詳細が分かったら探索してみたいもので。

2007/05/08(火)20:28

■[シュウ]
[にゃんこさんへ] Delete
ジェイソン村は角田浜のすぐ近くにあります。シーサイドを越前浜方面から五ケ浜方面に向かう途中左側に、廃墟になった民宿とキャンプ場があります。ボロボロになったバンガローの廃墟や、廃トイレ、廃車バスなど多数廃墟があります。ホワイトハウスからかなり近い場所にあります。以前行った時写真を何枚か撮ったら、女の顔が写った心霊写真も撮れました。
それと灯台下のトンネルでは以前焼身自殺があったそうです。角田岬は自殺の名所としても有名です。
シーサイドのトイレはいずれも霊が出るんですが、角田浜、浦浜駐車場、間瀬駐車場、田ノ浦駐車場の古いトイレ、野積浜駐車場、スカイラインだいろ坂の廃トイレ、弥彦山頂の廃トイレなど、ほとんどのトイレに幽霊話が絶えません。
海の家の廃墟は、シーサイドを寺泊方面に向かってトンネルを抜けると左側に2軒白い廃墟があったんですが、最近になって改装されて新しくなってました。その海の家の敷地内には地蔵があり、下には浜に続くガード下トンネルがありました。夜中に行った時はかなり薄気味悪かったです。
2007/05/12(土)10:11

  

位置的に、ホワイトハウスの噂とつなげて語られているジェイソン村と同一のもののようだ。

この書き込みがされた2007年には、ジェイソン村の噂が生まれていたことが伺える。

 

5ちゃんねるの「新潟の心霊スポット」という一連のスレッドは、2014年7月5日に立った「【笹団子】新潟の心霊スポット27【もも太郎】」まで確認したが、上記の書き込み以後にもジェイソン村に関する書き込みはほとんどなく、拍子抜けした。

ホワイトハウスに関する書き込みはその後もあるが、ホワイトハウスが幽霊屋敷であることを否定する内容も多く、地元住人の間では「新潟ジェイソン村」に関する一連の噂はあまり盛り上がっていないのではと思わされる様子だった。

 

神奈川県の相模湖ジェイソン村と茨城県つくば市のジェイソン村について調べたところ、2000年代初頭にはすでにインターネットや雑誌での言及がそれなりにあり、新潟県のジェイソン村に関する噂と性質が異なるように思われる。

ここからは推測だが、

相模湖とつくば市のジェイソン村は、心霊スポットとしての噂が流れ始めた当初から「ジェイソン村」という名称で呼ばれていたのではないか。

一方、新潟ジェイソン村は、日本各地のジェイソン村の話題が盛り上がったときに「ジェイソン村」の一つであるとされたが、もっと古くから別の名称といわれをもつ心霊スポットとして地元住人の間で知られており、地元ではジェイソン村という名称がなじまなかった。

というような違いがあるのではないだろうか。

 

 

 ●少女のその後と、幽霊屋敷の現実

 

新潟ジェイソン村の話は、集落での惨殺の後にも続きがある。

集落の人々を皆殺しにしたあと、少女は自殺電波塔という無線中継所で首吊り自殺をしたというものだ。

 

この自殺電波塔は「ブラックハウス」とも通称され、ホワイトハウスと同様に地元では心霊スポットとして語られ続けている場所だ。

首吊り自殺が多く起きているという噂がある。

 

ややこしいのだが、この自殺電波塔は、以前はホワイトハウスと呼ばれていたという話もある。

元はホワイトハウスと呼ばれていたが、少女が家族を殺害したというホワイトハウスの話が広まったため、そちらと区別するためにブラックハウスと呼ばれるようになったという。

ホワイトハウスには、よくホワイトハウスと呼ばれているのとは違う「真ホワイトハウス」という本物の幽霊屋敷があるという噂もあるため、この真ホワイトハウスと自殺電波塔/ブラックハウスが混同されたこともあったようだ。

 

名称についてはさておき、「新潟の心霊スポット」にあるホワイトハウスは幽霊屋敷などではないとする書き込みでは、所有者は県内の別の土地に住んでおり、ホワイトハウスは単に壊すのが手間で放置されているという内容がよく見られた。

面白いのが、『財界にいがた』という雑誌に載ったというホワイトハウスの記事についての話だ。

その中には、ホワイトハウスの近隣住人へのインタビューがあるという。

それによると、家出した少年がホワイトハウスに住み着いたことがあって、その姿が目撃され、無人のはずの屋敷に人の姿が見えたことから幽霊話が広まったのではないかということだ。

『財界にいがた』の現物にあたって確認することはできなかったが、この話は複数の人物がそれぞれに書き込んでいるため、ある程度信頼できるのではないかと思う。

 

また前述した別冊宝島赤福すずか氏による記事には、なぜホワイトハウスが幽霊屋敷とされるようになったのかについて、詳しく調査した結果が書かれている。

ホワイトハウスの近くで、精神病院の患者が療養のためキャンプに来たことがあったため、そのことが歪められて伝わったのではないかということ。

またホワイトハウスの周辺地域で過去に起きた事件を調べたところ、「男性が斧で娘を殺害した」「精神病患者が脱走した」「男性が義母と妻を刺殺した」というような事件があり、ホワイトハウスの噂が伝承される中でこういった要素が噂に反映されていったのではないかという考察がなされており、納得できる内容である。

こちらは聞き取り調査も事件の調査も充実している面白い記事なので、興味がある方はぜひ一読されたい。

 

関東のジェイソン村の記事へ

 

 

参考

赤福すずか「30年間放置された廃墟/新潟「ホワイトハウス」の謎」(『現代怪奇解体新書』(別冊宝島415) 宝島社 1998 p.80-89)

朝里樹『日本現代怪異事典』 笠間書院 2018

 ↑戦後の話から現代のネット怪談等まで、1000種類以上の怪異を収録した力作です。おすすめ。

有栖川礼音「謎多き”ジェイソン村”」(『知られざる 怖い!怪奇村の話』 日本文芸社 2009 p.46-51)

北野誠北野誠の実話怪談 おまえら行くな。 死導編』 竹書房 2011

 

恐怖神霊の館

西蒲原怪奇研究所

廃墟伝説

 

新潟県の心霊スポット

【笹団子】新潟の心霊スポット27【もも太郎】

 ※2003年から2014年まで連続して立てられたスレッドです。全部載せると長くなるため、間を省略して最初のスレッドと最後のスレッドのみここに載せます。

新潟の心霊スポット・パート2 ※インターネットアーカイブで閲覧

北陸甲信越の心霊スポット

私宅監置のこと

私宅監置についての本を読んだりちょっと調べたりしていました。

いわゆる座敷牢とイコールのものと考えていたのですが、ちょっと違うようです。

 

私宅監置は、1900年に公布された精神病者監護法によって定められたもので、『時代がつくる「狂気」』(朝日新聞社 2007.7)の第1章「治療の場をめぐる精神医療史」(橋本明)によると、

 

「居住環境の比較的よい「座敷」で行われることは少なかったという点」

「「座敷牢」が私的な都合あるいはせいぜい地方単位の規則にもとづいて管理されていたのに対して、私宅監置は近代日本が定めた国家的な制度であった点」(p.60)

  

が、それ以前の江戸時代等に行われていた座敷牢と本質的に異なる点だと書かれています。

患者の数に対し精神病院の数が少なかったため、自宅に部屋をつくりそこで患者を監護するような制度ができたようです。

 

調べてまとめようかとも最初思ったのですが、専門家が記した資料が既にたくさんある分野なのでやめました。

 

参考に読んだ資料を紹介します。

 

『時代がつくる「狂気」 精神医療と社会』 芹沢一也編著 朝日新聞社 2007.7

精神病者と私宅監置』 橋本明 六花出版 2011.12

『幻視する近代空間 迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶』 川村邦光 青弓社 1997.1

 

 精神病者監護法国立公文書館デジタルアーカイブ

 

『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』国立国会図書館デジタルコレクション)

データのタイトルが「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的視察」になっていますが、序文等では「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」と書かれているので、内容は『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』と同一のものだと思います。

精神医学の大家・呉秀三らによる実地調査のまとめです。写真などもあり読んでいてつらくなるところもありました。

 

まだちゃんと目を通していないのですが、国立国会図書館デジタルコレクションを「監置」で検索すると、当時の統計なども出てくるので参考になるかもです。

 

桐生火葬場事件 3

前の記事のつづき。これで終わりです。

 

市の対応

市当局は、事件を受け4月15日夜に市会議員の緊急協議会を開いた。

当座の対応として、火葬場は改築し、死体が全て発掘された後に慰霊祭を行うことを決めた。

また15日の緊急議会では、当時の市長から市会議員に対して釈明と陳謝の意が表明された。

17日には、市長、助役、係課長が辞職届を提出している。

19日の協議会では、火葬場の改築移転後、火葬場があった敷地にこの事件の納骨堂を作ることとなった。

 

4月22日、仏教・神道キリスト教合同の慰霊祭が行われた。

参拝者はおよそ5000人に達し、当初午後2時までだった参拝時刻が4時までに延長された。

 

慰霊祭に出席したあと喪服のまま善後処置協議会に出席した市長と助役は、市役所職員のIが犯罪に関与していたこともあり、自らの責任重大として辞職届の処理を行うことを議長に申し出た。

市議会議長が預かっていた辞職届が、28日の市会で正式受理されることが決まった。

 

事件の余波

全国に大きく報道された事件なので、市外への影響も大きかった。

同じ群馬県内の前橋市公設火葬場では、火葬したあとに金歯や指輪等があったことがないため、桐生と同様のことが起きていないか調査を始めたと1933年4月22日の朝日新聞群馬版にある。

また、同年9月には三重県鳥羽の火葬場、11月には埼玉の火葬場で、脳の抜き取りがあったことが判明したという新聞記事が見つかった。

どちらも、桐生火葬場事件を引き合いに出して報道されている。

 

事件のことが書かれているのは、同時代の資料のみではない。

「群馬の恐怖心霊スポット」という5ちゃんねるのスレッドには、以下のような書き込みがあった。

 

622 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/30 07:49

    ガイシュツかもしれないけど、桐生市で昭和初期にあった大事件「おんぼ焼き事件」。

    今の○○○○○と○○○○の敷地は、むかし火葬場だった。その火葬場の館長が

    すこしヤバイ人で、死体から金歯を取ったり、人肉をT屋に安く売って、T屋がそれを

    鶏肉として売ったり、死体の脳みそを性病に効く薬として売ったりしたんだって!

    当時は大事件で、桐生出身だと「おんぼやきの桐生」と言われ馬鹿にされたほどらしい。

    その後、○○○○○を建てる工事のとき、あの辺りからものすごい数の人骨が掘り起こされたらしい!!

 

 

一部を○で伏せた。またT屋の店名もイニシャルにした。

T屋は、1933年4月25日の読売新聞夕刊で、店主が鳥の骨をMらに売っていたと書かれているT店と同じ店のようだ。

T屋が関わっていたということは伝わっても、どのように事件に関わっていたのかは忘れられ、より怪談じみた話となって伝わっていることがわかる。

 

おんぼ焼きの「おんぼ」とは、「隠亡」のことだろう。

小学館の『日本国語大辞典 第3巻』で「隠亡」を引くと、「死者の火葬・埋葬に携わり、墓守を業とした人。」とある。事件当時の新聞記事では、Mの職業を「隠亡」と書いているものが多かった。

 

事件の記事には、家族の遺体を無残な姿で埋められてしまった人々の悲しい姿が書かれている。幼いわが子の遺体が掘り出され、思わず名を呼んですがりつく母親の話などは特に悲痛だ。

発掘作業中には現地に遺族を含めた大勢の見物人がつめかけていたようだし、桐生署には「私の子どもも埋められていないか」と問い合わせる人々が来ていたという。

このように、何も悪いことをしていないどころか近しい人々の遺体を理不尽に冒涜された市民が、「おんぼ焼き」などとばかにされたというのは嫌な話である。

 

 

参考

群馬県警察史 第2巻』群馬県警察史編さん委員会 編 群馬県警察本部 1981

『新聞集成昭和編年史 昭和8年版自1月~12月』明治大正昭和新聞研究会編集製作 新聞資料出版 1961

日本国語大辞典 第3巻』日本国語大辞典第二版編集委員会小学館国語辞典編集部編 小学館 2001

『人喰いの民俗学』(歴史民俗学資料叢書2) 礫川全次 批評社 1997

『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』事件・犯罪研究会、村野薫編 東京法経学院出版 2002

 

朝日新聞 1933年4月15日朝刊11面

朝日新聞 1933年4月16日朝刊11面

朝日新聞 1933年4月17日朝刊11面

朝日新聞 1933年4月18日朝刊11面

朝日新聞 1933年4月18日夕刊2面

朝日新聞 1933年4月19日夕刊2面

朝日新聞 1933年4月23日朝刊11面

朝日新聞群馬版 1933年4月16日

朝日新聞群馬版 1933年4月18日

朝日新聞群馬版 1933年4月19日

朝日新聞群馬版 1933年4月20日

朝日新聞群馬版 1933年4月21日

朝日新聞群馬版 1933年4月22日

朝日新聞群馬版 1933年4月23日

読売新聞 1933年4月16日朝刊7面

読売新聞 1933年4月17日朝刊7面

読売新聞 1933年4月17日夕刊3面

読売新聞 1933年4月18日朝刊7面

読売新聞 1933年4月18日夕刊2面

読売新聞 1933年4月19日夕刊2面

読売新聞 1933年4月20日朝刊7面

読売新聞 1933年4月20日夕刊2面

読売新聞 1933年4月25日夕刊2面

読売新聞 1933年4月28日朝刊9面

読売新聞 1933年9月6日朝刊7面

読売新聞 1933年11月1日夕刊2面

 

桐生火葬場事件 - Wikipedia

群馬の恐怖心霊スポットhttps://curry.5ch.net/test/read.cgi/occult/1021999151/

 

※文中で引用した新聞記事中の旧仮名・旧漢字は、こちらで新仮名・新漢字に改めた。

桐生火葬場事件 2

前の記事のつづき

 

犯行動機

捜査の結果、MとYが死体を半焼で遺棄した動機は以下の3つとされた。

 

①燃料・火葬代金の騙取

 Yについては、燃料の薪代は自己負担だが、市からの手当の他火葬の回数に応じて条例で定めた火葬料金が支給されていた。

 Mは火葬の手間賃として1体につき60銭(12歳以下の場合は30銭)を支給されていた。

死体を火葬にしなかった場合、Yは燃料代を抑え火葬代を得ることができ、Mは火葬の労働をせずに賃金やチップをもらえることとなる。

②貴金属類の抜き取り

 死体から貴金属や金歯を抜き取り、古物商に売却していた。

③脳みその抜き取り

 死体から取り出した脳を、性病や肺病の薬として売却した。

 

また、遺棄された死体のうちには子どものものも多かったため、火葬に付すべき遺体を埋めただけではなく、不義の子を親から預かり埋めたのではないかという疑惑も最初あった。

 

いくつかの新聞記事では、それに関連して「西郷山事件」という事件の名が挙げられている。

 調べたところ、『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』に「川俣初太郎大量もらい子殺し事件」として載っているものが「西郷山事件」のようだ。

桐生火葬場事件と同年の1933年3月に発覚した事件で、犯人川俣は新聞広告を見ては子を貰いに行き、養育料と子どもをもらったのち子どもは殺害して西郷山に埋めていた。

 

桐生火葬場事件では、発掘された子どもの遺体を解剖したところ他殺ではなく病気で亡くなったものばかりだったため、もらい子殺しの疑惑はなくなった。

 

脳の抜き取り

事件当時はエログロブームの時代。そのために、事件中の「死体から脳みそを抜き取った」という点がかなりクローズアップされている感がある。

 

犯行の主目的は脳の抜き取りとされ、新聞の見出しは「脳みそ抜き取り事件」「隠亡がグロ極る犯行」「悪魔の微笑」等々、非常に扇情的だ。

記事の文章も同様で、中には犯人が女性の死体を弄んだかのような記事もある(しかも記事を読んだだけでもありそうにないと思える内容)。

 

こういった取り上げ方を見ていると、脳の抜き取りについて当時の新聞に書かれていることをどこまで信用して良いかわからない。

 

群馬県警察史』には「脳実質については性病に特効があるということ(迷信)で、其の患者(二人)から依頼されたMが〈中略〉脳実質を取り出し、患者はこれを黒焼となし、服用した」とあり、1500体以上の死体が被害に遭ったにもかかわらず脳を買った者は二人となっている。

しかも大量に購入する必要のある転売人ではなく、自分のために買う「患者」である。

二人が継続的に脳を購入していたとしても、そこまで大量になるだろうか。

Mらの主目的は、脳でなく火葬代金の詐取と貴金属の入手だったと見るのが妥当だろう。

 

薬として用いるために死体を損傷するというと、明治に起きた野口男三郎事件を連想する。

1902(明治35)年に少年が殺害され臀部の肉が切り取られていた事件で、犯人と見られた野口男三郎は、義兄のハンセン病に対する薬とするために、少年を殺して尻肉を切りとったのではないかとされた。

 

『人喰いの民俗学』(礫川全次 批評社 1997)によると、明治30年代までは、人の臓器が病気に効くという迷信が根強く残っていたという。

桐生火葬場事件が起きたのは昭和8年なので、野口男三郎の事件からは30年ほど経っている。

しかし、火葬場事件を受けて医学博士高田義一郎が「馬鹿馬鹿しい迷信から覚めよ 人間の脳味噌は何の薬にもならぬ」という文章を1933年4月28日の読売新聞に載せている。

明治の頃ほどには信じられてはいなかったのだろうが、人体に薬効があるという俗信は昭和初期にも残っていたのだろう。

 

Mらが行った犯罪はひどいものだが、脳の抜き取り行為を主座に据えた「グロ事件」としての報道は、事実を反映したものというよりは時代の産物であったと思われる。

 

 

3につづく(次で終わりです。)

桐生火葬場事件 1

1933(昭和8)年4月14日、群馬県桐生市の市営火葬場近くで、子どもが死体を発見した。猟奇的事件として日本全国に大きく報道された「桐生火葬場事件」の始まりである。

 

事件のあらまし

1933年4月14日、桐生市営火葬場のゴミ捨て場から犬が人間の死体を掘り出した。それを近くで遊んでいた子どもが発見して騒ぎになり、桐生署から警察官が出動した。

検証した結果、死体は2体あった。2体とも半ミイラ化して半焼の状態。古い畳表に包まれており、両腕と両足がなく頭部と胴体だけになっていた。

 

※事件が起きた日付について、当時の新聞は全て4月14日としているが、『群馬県警察史』とそれを典拠とした『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』では4月3日と書かれており、一致していない。

 

警察は、死体は他の場所で殺害された後、証拠隠滅のために焼いて捨てられたものとみて捜査を行った。

その結果、同火葬場で火葬人をしていたMが死体遺棄の犯人であることが判明した。

Mは死体を完全に火葬にせず、半焼の状態で火葬場の敷地内に埋めることで、薪や火葬の代金を騙取していた。

驚くべきことに、Mが遺棄した死体は14日に発見された2体だけではなく、火葬人として働いていた17年間に、同様の行為を何度も行っていたことがわかった。

最終的には、1570体余りの死体が遺棄されていたことが判明した。

 

取り扱った遺体のうち約5分の1は火葬にし、その骨を何人分かに分けて、火葬にしなかった遺体の遺族に遺骨として渡していた。

1933年4月25日の読売新聞夕刊では、市内にあるT店(鶏肉を扱う料理屋か精肉店か?)の店主が鳥の骨をMらに売っていたと書かれている。

遺族に渡された遺骨の中には、その鳥の骨もあったという。

 

Mが半焼状態の死体を遺棄した理由は、金の騙取だけでなく「脳みそを取るため」だったと複数の新聞で大きく報道されている。

当時、人間の脳みそが梅毒に効くという迷信があり、Mは死体から取り出した脳みそを売っていたのだという。

これが、この事件が「グロ事件」として大々的に報道された理由である。

 

犯人たち

Mは事件発覚当時45歳。詐欺で3回捕まっており、火葬場で働く前には前橋刑務所で服役していた。

 

もとは市内の農家に男4人の兄弟の末子として生まれたが、20歳のときに盲腸を患ってから、働かずに遊び回るようになった。そのため実家からは事件の数年前まで勘当同然となっており、兄弟も絶縁状態だった。

火葬人として働き始めてから、毎晩のように自動車を走らせ桐生や足利で豪遊していたという。

 

桐生市営火葬場はこの年の4月1日から市の直営となっており、その前は火葬取扱人Yが運営していた。

Mは前橋刑務所出所後、Yの父の保護を受け薬の行商を行ったあと火葬場で火葬人として雇われて働いていた。

Yの父は事件当時には故人となっており、Yがその跡を継いでいた。

 

Mは火葬人として働いている間に、遺族や会葬者にチップを強要したり、死体の金歯を抜き取ったりという問題行動があり、市民から問題視されたこともあったという。

 

Yは当初、事件について「事件の発生を聴いて実にビックリした次第です」「(Mが)大それた罪を犯そうとは夢にも気づきませんでした、監督者だった私としては十分に責任を感じております」(朝日新聞群馬版1933年4月16日)などとコメントしているが、その後の捜査でMと共謀して死体遺棄を行っていたことが判明した。

 

「桐生署で最初からYに嫌疑をかけなかったのは不思議な位」(読売新聞1933年4月19日)と言われているが、Yは元市役所職員で当時は町内の役員を務め、家には巡査が4人も下宿していたという人物で、最初は捜査の手が及ばなかったようだ。

 

4月19日夜には、市役所の衛生課火葬係主任書記Iが出頭を求められ取り調べを受けた。その結果、IもMらの犯罪に加担していたことが明らかとなった。

最終的には、MとYを含む14人が犯罪に関与したとされた。

 

火葬場が市の直営となった1933年4月1日以降も、Mは引き継ぎのため4月10日まで火葬人として働いていた。

新たに火葬人となった人物は、Mに犯罪に加担するよう脅されていたという。

Mは取り調べの際、「焼けないから已むを得ず埋没して他の骨を融通した」(1933年4月17日読売新聞夕刊)と供述し、留置所でも平然としていると記事に書かれている。

 

2につづく(記事は3まであります。)